バレンタイン その後  まるで体の動きを止めんとするかの様にまとわりつくショールを外しながら、 ヒスイはまたため息を吐いた。 とんでもないことになった。 どうして私が男の人と付き合わなくちゃならないのか。 そもそもアレはトワさんが渡したかった物なのだから、トワさんが付き合う のが正しい道順なのではないのか。 のろのろと歩きながら、トワさんと、茶髪の占い師さんのデート風景なんかを想像してみる。  …………。 素直に、気持ち悪い。  ……さてと、そう遠くない所にいるであろう、トワさんとライアを探さなくては。 やはり、一応それなりに強い戦士ではあるので、気配を絶っているとなかなか探しにくい。 まぁ……別に探さなくてもいいか、歩いていれば向こうから何か言ってくるだろう。 少なくともライアはともかく、トワさんは。 と、やはりブロック塀の角を曲がった所で待機していたようで、トワさんが声を掛けてくる。 「よ、どうだった?」 「どうもこうも……」 心底うんざりしていたヒスイは、思わず非常にウザそうな表情を作る。 そう、元凶はこの人なのだ。 ライアは……いつも通り無表情だ。 「食べてはくれませんでしたよ……」 とりあえず、付き合う云々の話ではなかったはずだ。 確か、酒入りのチョコを食べたらどういう反応をするか、というのが大筋だった。 ヒスイの返事を聞くと、トワさんは「えー」と明らかに不満げな声を出す。 それから 「まぁ……お疲れ様だったな」 と、笑顔で軽く労いの言葉を掛けてくれた。 そんなもので何が癒える訳でもなく、やるせなさだけが心中を反響しているような感じだ。 ヒスイの疲れた顔をしばらく眺めていたライアだが、ここでやっと口を開いた。 「随分長かったみたいだけど、何話したの?」 「ああ、はい……」  そうだ、付き合うことになってしまったショックですっかり忘れていたが 彼らの企みは全部占い師さんにお見通しだったのだ。 一応、これは言っておいた方が良いだろう。 何かをしでかすつもりのようだったし。 「あのですね……」 「ばれてた!?」  説明半ばで叫ぶように聞き返すトワさん。 「ええ、ばれてるみたいでした。何故かライアの事まで」 それから占い師さんの能力についても説明をしておく。 ライアは「最悪」とだけ短く漏らす。 続いて、付き合うことになってしまった事、ホワイトデーに何かしでかすこと等も伝えておいた。 まじかよ、とトワさんは唸る。 流石に彼とて、占い師さんの能力を知っていればもう1段階クッションを置いただろう。 何も知らない者に、誰かを通して頼む、など。  どうも付き合う事については、二人とも興味がないらしい。 直接自分に関わらない事となると、どうでもいいという気持ちは分かるが……。 「まぁ、お似合いなんじゃない?」 ライアのコメントは、さもどうでも良さそうに放たれたそれだけだった。 原因の一端が自分にもあるという事は棚上げされている。 本当の事を言えば、ヒスイ自身、付き合うことについては割とどうでも良かった。 恐らく並のカップルと同じ事をするでもなし。 本人の発言を信じるなら、相手よりもこちらの方が腕っ節は上のようだし。 仕返しの為だけに、形式上組まされたと考えるのが妥当のような状況。 どう頑張ったって、来月の明日にはサヨナラだ。 何をされるでもないだろう。 ……それまでに、胃に穴が開かないといいけど。  男3人で家路につく。陽は既に傾いていた。 もうすぐ急激に気温が下がり始めるのだろう。 帰り道、人手もあることだし……買い物でも、とは思ったものの 今自分のしている格好を改めて考えてみて、やめることにした。 これを脱いだらもう一度出掛けないと。 めんどくさいな、と心底思う。 「ただいまー」 「……戻りました」 玄関をくぐると、トワさんと声が重ならないよう帰宅を告げる。 ライアはその後ろから、黙ってついてきた。 どうも彼は、家に居た人間と顔を合わせるまで挨拶をしない主義らしい。 戸を一枚隔てると、家に居た人間の一人……ウェーブのかかった 金髪碧眼の美女、コヨミさんが出迎えてくれた。 まぁ、顔を向けただけではあるが。 彼女はヒスイの姿を認めると、パッと顔を輝かせる。 「おかえりーって、あらまぁヒスイちゃん! どうしたの可愛いっていうか清楚ね!」 コヨミさんはヒスイのことを、ヒスイ「ちゃん」と呼ぶ。 ヒスイはいつまで経ってもそれが嫌なのだが、いい加減慣れてきた。 ちなみに彼女はこういう……女装とか、普段しないような格好を他人に、 というか、主に男にさせるのが大好きだ。 むしろいじり倒すのが好きだとも言える。 「どうって……」 チラと、トワさんとライアの顔を伺う。 伺うまでもなく、言ったらとんでもない事になるからやめとけ、という思いはヒシヒシと伝わっているが。 とは言え、女装して出掛けるなどまず有り得ない話で。 …………。 「似合うでしょ」  助け船? を出したのは、まさかのライアだった。 「トワが見立てたんだよ」 相変わらずの無表情で続けながらコヨミを通り過ぎ……ダイニングの定位置に腰掛けた。 「あら、これトワが? やるじゃないっ。あ、写真撮って良い?」 「ええもう好きにしてくださいよ……」 いつも通り、投げやりなヒスイ。 好きにしろと言いながらも、ズルズルと着物を脱ぐ。 いつもの服に着替え、髪も結い直す。 コヨミさんは脱ぎ終わる前に何枚か写真を撮ったようで、まあ何とか誤魔化せたのだろう。 そう思いたい。  さて、着替えも済んだし買い物に行かなくては……。 「あ、そうそうヒスイちゃん」 愛用の手提げ(スーパーのポイントで貰った物)に財布を入れていると、コヨミさんが 思い出した様に声を掛けてくる。 「何ですか?」 「さっきね、男の人から電話あったわよ」 「…………」 もしや。 「付き合うことになったから、今度ご挨拶にでもーですって」 礼儀正しい人ね、と付け加える。 もしかして、既に占い師さんの逆襲は始まっているのだろうか……? 「明日お見えになるそうよー。楽しみだわ! ヒスイちゃんの彼氏!」 言ってて違和感を覚えないのだろうか、コヨミさんは。 明日……何て展開の早い。 「もう、いつの間にそんな事になったのよっ」 やぁね、とヒスイをからかうコヨミさんだったが、ヒスイには聞こえてはいなかっただろう。  そして翌日、占い師さんは非情にも、宣言通り訪問してきた。 手みやげもなく……まぁそこに突っ込むのも失礼ではあろうが。 リビングの焦げ茶色のソファーに、住人全員と占い師さんが座る。 状況として仕方ないのはそうだが、隣に座られるとビクビクしてしまう。 というか……コヨミさんと面識を持ってしまったのもかなりマズイ。 改めて考えてみれば、これは恐れていた最悪の事態ではなかったか。 ライアとトワさんも、どうしたらいいのか分からないといった感じだった。 謝るのもおかしいのである。 結局2人は占い師さんと目を合わさずに、他の面々に混じって自己紹介、という形となった。 「ヒスイさんと付き合わせて頂く事になりました、ペーシェンスという者です」  彼氏……は、丁寧にお辞儀をする。 こう見れば、かなりの好青年であろうに。 そして、誰一人としてツッコミを入れるようなマネはしなかった。 ヒスイに次ぐ常識人であるアズマさんも、恋人であるイオリさんですらも。 ただこれは、純粋に面白がっているとしか思えない。 いっぱいいっぱいなのは男性陣だけだった。 「では、以後宜しくお願い致します」 再び深々とお辞儀をする占い師さん。 全員が各々の思考を巡らせているため、僅かな沈黙が降りる。 それを破ったのは……やはりというか、コヨミさんだった。 「いい人じゃない、優しそうだし物腰も柔らかいし、顔も悪くないわ!」 「ははは、恐れ入ります」 この2人が仲良くなるということだけは避けたいのに、止めに入る勇気もない。 既に3人共、この2人の空気に押され始めていた。 頼みの綱はイオリさんとアズマさんだが、黙して語らずの2人である。 期待できそうにもない。 普段無駄に喋りまくっているトワさんも、今日は必要最低限しか喋らず、 気まずい空気を醸し出していた。  何がこんなに恐ろしいのか分からない。 仕返しにしたって、別に命を取られる訳じゃないに決まっている。 今まで幾度と無く死闘を、そして死線をくぐり抜けた自分が恐れるには脆弱な相手、の筈だった。 このプレッシャーの正体を暴いたところで、どうなるとも思えないのだけれど。 「では、僕はそろそろ……」  出された茶と茶菓子をゆっくりと食べ終えると、彼氏……占い師は、席を立った。 ヒスイ、トワ、ライアの間に安堵の空気が流れる。 これでもう、来月までは会わなくて良いかも知れない。 「じゃあ、また連絡するからね。ヒスイさん」 「あ、はい……」 そういうと、占い師さんは無駄に爽やかな笑みを浮かべて去っていった。 その爽やかさが逆に怖かったのは、言うまでもない。 いや、連絡しないで下さい。と言うどころか、思う隙も与えてはくれない。 トワさんや何かなら、自分より強くとも言えるのに。  そしてまたその翌日、占い師さんから電話が入った。 特に何と言うこともない内容だが、案外恋人同士というのはこういう物なのかも知れない。 ヒスイ自身、イオリさんと滅多に話をしないのでよく分からないが。 少なくとも、愛を語り合ったりなどはしたことがなかった。 「電話代もかかるし、今度またそっちに行ってもいいかな?」 冗談じゃない。 とも言えず。 「あ、はい……いつでもどうぞ」 こんな弱気な返事しか返せない自分に嫌気が差す。 「ああ、あとやっぱりデートとかは行くべきだよね。どこがいい?」 「え……いえ、そういうのよく分からなくて」 かなり一方的な会話になっている。 そして、現段階で胃が痛い。 会って顔を合わせたらこんなモンでは済まないだろう。 「あ、その時はお弁当作ってきてね♪」 「……はい……」  そんな感じで時は過ぎ、もう3月。 印象の薄いホワイトデーも、大分近づいてきている。 本音を言えば、ヒスイは不満だった。 ポジションとして仕方ないとは言え、ヒスイと占い師さんで2人きりという時間が多いのである。 これがもう疲れるなんてモンじゃない。 そもそもヒスイは、言ってしまえば利用されただけに過ぎない。 それなのに、どうして私だけ? そう思うのは、当然と言えば当然の事だった。  辛いとはいえ、少しは慣れた。 こうなったら占い師さんと組んで、あとの2人……トワさんとライアに何か嫌がらせでも しようかと、半ば真剣に考えていたりする。 何だかロクな事にならない気がするので、今のところ何とか自粛してはいるのだけれど。 うっかり3編に伸びました。 いきなりホワイトデーじゃ、やっぱり変だと思ったので。 コレを書いている現在、やっぱりホワイトデーのネタは考えておりません。 かなりギリギリです。  前回が長すぎて今回、長さを合わせられませんでした。 大分短いと思いますが、まあ繋ぎですのでご勘弁を……! 果たしてヒスイは占い師と組むのでしょうか。 っていうかもう誰か代わりにネタ考えて下さい、私には荷が勝ちすぎてます。 めぐり