少し砂埃の舞う街の風景は ひたすら前から後ろへと流れていった。 目を留める時間はあるはずだが 特に目を引く物がなかった。 そんな時だが、唐突に目を釘付けに、 足を止めるようなものがあった。 それは… 占いだった。 とはいえ、まるで靴磨きか何かのような店構えで正直、店とも言い難い。 高さ50センチ程の…恐らくベニヤの木箱を前に置き、その上に占いと書いてるだけだった。 箱も板も随分と年期の入ったものだったが、角が落ちているのと無数の傷が ある事を除けば…それなりにキチンとした作りだ。 箱の向こうには、恐らくもう少し低い箱に腰を下ろしているのだろう、 20そこそこの、明るい茶色の髪をした、細めの男が座っていた。 商売をする気が無いのか、客引きなど全くしていない。 ただ、何故か目だけは楽しそうに輝かせて行き交う人々を見つめている。 その男とレイの目線が、いつの間にかかち合っていた。 見通すようなきらきらした目に多少なりの恐怖感を覚え、 足が止まったのはそのせいだろうか、とふとレイは思った。 「レイ? どうしたの?」 立ち止まったレイを追い越したサンが、不思議そうに問う。 今までボーっとしたようなレイを見た事が無かったからだろう。 レイが答える前に、視線の先をサンが調べる。 「…占い? やってくの?」 どうにもそういう物への興味が薄そうだと思ったのだろう、 サンは先程よりもより混乱したような声で言った。 「それもいいかも知れないな」 小さく呟くと、道を横断して占い師と思われる男の前に立つ。 「…たのむ」 「何を見て欲しいんだい?」 ニコリと愛想笑いをし、間髪入れずに男は言った。 「過去とか未来とか、恋愛だの相性だの金運だの余命だのあるけど」 言いながら、恐らく男が座っている物と同じ箱を背後から取り出し、レイに勧める。 レイはそれをサンに渡し、自分は机代わりの箱の前にしゃがみ込んだ。 「他はともかく、過去など見てどうなる」 他の選択肢…特に恋愛以外を考えながらレイは言う。 すると 「うん、みんなそう言うんだけどね。人は心のどっかに消し去った過去ってのを持ってるもんだよ。 自分で見たくない物には蓋をする。それを見るのが俺ってことだよ」 「見たくない過去?」 サンが口を挟んだ。 「そうそう。まぁ基本的には、忘れちゃってる嫌な過去かな。俺の一押しだけどね」 「嫌な…」 「普通の人は無いモンだけどね。 だから結果を聞くと、そんなの分かってるーとか言われちゃうんだよなぁ 金髪の君、随分波瀾万丈な人生っぽいけどどうよ?」 不思議と妙な寒気を感じたレイに、男が振る。 「じゃあ…見て貰おうか」 自分でも何故見て貰いたいと思ったのか、正直なところよく分からなかった。 ただ、この寒気の原因を見てみたいという怖い物見たさのようなものがあったのだろう。 男はまたニコリと笑うと、サンの方を一瞥した。 「あーそんじゃあそっちのバンダナの君。どっか少し遠くに離れてな」 「え、どうして」 「そりゃぁ、本人が思い出したくないよーなコトを俺が言うんだから。 友達だか兄弟だか知らないけど、他人に訊いて欲しい訳ないだろ」 さらりと悪ぶれもせずに言うと、サンは納得したのか「それじゃ」とだけ言い、 椅子から立ち上がって手を振り、立ち去った。 「さてと…」 男は座り直し、目を細める。 真剣な目は、さっきまでのイメージとは随分ズレがあった。 「ちょっと手ェ出しな」 トントンと叩かれた箱の上に、手の甲を上にして手を乗せる。 レイの手の甲に手のひらを乗せて目を閉じると… 「…うわぁ」 嫌そうな顔をした。 かなりあからさまに嫌そうな顔だ。 何を見ているのか感じているのか分からないが、こう嫌な顔をされては気になってしまう。 と、その時だった。 「あんた不死身なのかぁ…竜と、ねぇ…そりゃさぞかし大変だっただろーなぁ」 呟くと、ふと目を開く。 「ああ、ここだ」 手を見つめたまま続ける。 「血を浴びる少し前と、その後しばらくに記憶の混濁があるねー。てかねつ造だなこりゃ。」 そう言うと、それから少しの間、男は黙りこくった。 血を浴びる前後…何かあるならそこだろうとは予想していたが、やはり。 不安感からか、思わず触れられている自分の手を握る。 「ああ、この王様…てか友達?」 断片的に言う言葉が気になって、レイはとうとう口を開いた。 「文章でハッキリ言ってくれないか?」 占い師はふと顔を上げ、レイの目を見た。 「ハッキリ、でいいんだな?」 男は透き通った目でレイを見直し、続ける。 「覚悟しとけよ。ちょいときつそうだからな」 全てを聞き終わってから夜までの間は、とんでもなく長く感じたようで 同時にあっという間だったような気もする。 日中の事は占い以後、ほとんど覚えて居なかった。 サンが心配して色々と聞き出そうとしていたが、話さなかった。 というよりも、話したく無かったと言った方が良いかも知れない。 今はもう、サンは寝静まっている。 正確にはふて寝に近い感じではあったが。 「………」 今、レイは珍しくベッドに横になっていた。 座っているのも億劫だったからだ。 今はどこにも力を入れたくない。 重力という大きな力に、大人しく従っている。 そして、考えていた。 考えれば考えるほど、己の愚かさが浮き彫りにされていく。 言い訳を考えても、そうして自分を許そうとする自分に腹が立つ。 いっそ死ねたら、どんなに楽か? …地下牢に入った頃の自分に似ている。 考えても意味のない事を延々考え続け、苛立ちと無力感に押しつぶされるあの感じ。 ギシ、と音を立てて仰向けに寝返ると、レイはそのまま起きあがった。 机の上にある透明なガラスの水差しを見、その中の綺麗な水を見て、今や正確となった 昔の記憶を、今ひとたび思い出した。 「金髪の君、アンタが竜の血を浴びたのは、自分の意思だったんだ」 「お前に私は倒せない。私は神自身なのだから」 竜は、確かにそう言った。 黒い鱗はだいぶ傷つき、地面に落ちている物も少なくない。 とはいえ、僕の方もボロボロだった。 まだ、本当に16だった頃の僕で、容姿は今と変わらない。 自分の血や泥や砂が、服や体を汚していた。 手にはガイアの聖剣…今はもう握る事さえできない剣。 「物理的に考えてみろ…僕にお前を倒せない道理など無い…」 剣を握り直し、ふらつく足を叱咤する。 大量出血による目眩も少々。 「生きた人間に私は倒せない。死んだ者にも倒せない」 そう言う竜の口の端からは、ぬるぬるしていそうな血が流れていた。 全体が黒くて分かりにくいのだが、よくよく見れば全身血だらけだ。 あと一息…しかし一番油断出来ない状態だ。 「…どういう事だ…」 「私の血を浴びた者が生きる限り、私は死なない」 答えは実に明解だった。 不死身の者から先に殺すべきだったのだ。 と、そこで不意に、竜の爪が僕の鳩尾に刺さった。 どうやら奇跡的に竜の血は付いていなかったらしく、とんでもない痛みと 死を目前にした恐怖感が、体中を駆けめぐった。 そして脳裏に浮かんだのは、大切な人たち。 思い上がりかも知れない…でも… 僕が死んだら、この人たちは悲しむ。 特に親友の国王、シェナは、僕に竜退治を託した張本人だ。 一生彼の心に影を落とす事になりかねない。 そして…恋人のユリ。 この戦いが無事に済んだら結婚しようと誓っていた。 ユリは、僕が居れば幸せだと言ってくれた…それは誇張だと思うけれど。 ここで死んだら、もう彼女には会えない。 彼女も僕には会えない。 そうしたら、ユリは、誰が幸せに… 「死ぬぞ」 一瞬の出来事だが、僕の思考回路に竜の声が割って入った。 分かり切った事を言うな、と思っていると、先を続ける。 「死に恐怖を覚えたのだろう、また会いたい人がいるのだろう、 愛しいものがいるのだろう? このままだとお前は死ぬぞ」 「わかってる」 「死んでしまえば誰にも会えぬ。そして時の経過と共に、忘れ去られていくだろう」 忘れられる。 何故だか、死ぬ事自体よりもそちらの方が恐ろしかった。 それが本人達の癒しになるのかも知れないと分かっていても、 今必要とされているのに忘れられてしまうなんて。 まるで居なかったかのように、消されてしまうなんて。 「それは…無い」 「それこそ有り得ない」 竜の言葉と、僕の本音が一致した。 忘却が無いのだとしたら、人は多くの悲しみの中で生きる事になってしまう。 自分の精神を守る為に忘れるのならば、忘れられても構わない。 しかし、それは何も今でなくても良いはずだ。 「しかしお前は生きながらえる可能性を目の前にしている」 その通りだ。 「その生きながらえる可能性とやらに殺されかけているんだ」 「生きたくはないのか」 「生きたいさ。約束も残っているからな」 「私も、この生をより確実なものにしたい。利害は一致した」 つまり…血を浴びろということか。 それも悪くないだろう、またユリとシェナに会えるのなら。 「お前の血を分けてくれ」 ゆっくりと言う。 もう体力が無かったからだ。 「承知した」 僕の体を地面に置くと、竜はゆっくり、僕の真上に頭を垂れた。 頬に受けた傷口から、竜の血が降り注ぐ。 ポタ、と最初の一滴が当たった瞬間… 竜の姿が視界からかき消えた。 カランと音を立てて、透過したように聖剣が地に落ちた。 一瞬自分は死んで、霊体にでもなったのかと思ったが…そうでもないようだ。 ものの一瞬で傷が癒え、空腹感も喉の渇きも、疲労感も消えた。 残ったのは…冷静になった頭の中に残った空虚な感情だった。 長くなりそーなんで、ここでいったん切ります。 続きはきっとまた次回(?