バレンタイン 〜2006.2.14〜  それは実に美しくはあるが、実に奇妙な光景だった。 17にもなる少年が女物の着物を着せられ、ストールを巻かれ、 水色の髪にはエンジのリボンが結われ、手には小綺麗な包みが持たされている。 その包みを、これから「ある人物」に渡しに行かなくてはならないのだ。 「はぁ……」 少女、もとい少年……ヒスイは、本日十何度目かのため息をつく。 何だか、やっぱり断り切れなかったのだ。 己の気の小ささ、というよりかは、潜在的な人の良さが憎い。  頼んできた人物というのは、思いも寄らないことに双子の弟、ライアだった。  時を遡ること、確か3日間。 聞けば、今持っているこれ……すなわちチョコを、ある和服の占い師に渡せ、とのこと。 「渡して欲しい」ではなく「渡せ」であったことが印象的だ。 通りがかりだったので、まるで話が読めない。 聞き返してみると、ライアは「もうすぐバレンタインでしょ」と言ってきた。 そういえばそんな日もあったなと虚ろに思う。 日々の多忙さに流され、大概の行事は脳内でただの日付と化している。 2月14日、そういえば去年はイオリさんから焼きチョコならぬ、焦げた板チョコを貰った。 しかし、考えるまでもなくバレンタインデーというものは「女が男に」チョコをあげる日だった筈だ。 まあ、一般的にはであるが。 実際去年も……あんなんでも一応女であるイオリさんから貰ったのだから間違いない。 仮にこの色恋沙汰に微塵も興味のなさそうな弟が、どこかの女の子に片思いをしていると 仮定してみたところで、こんなんでも一応男である自分が渡すのはお門違いというものだ。 それとも嫌われる気か、否、嫌われる気ならわざわざ何か物をやったりしないだろう。 とにかく、訳と相手を聞かなくては話にならない。 「……どういった経緯で?」  洗濯物を畳む手を緩めながら(止めている暇はない)、弟に問うてみる。 「まあ、元はと言えばトワなんだけどね。あまりにも粗が目立つから」 「粗?」 ますます話が読めない。 そもそもトワさんとライアがタッグを組んでいる事だって滅多にない。 ライアがマイペース過ぎるせいである。 ヒスイが悶々と疑問を反芻していると、ライアがゆっくりと続きを話す。 「トワが、ペーシェンスっていう占い師に渡したいんだって」 普段からゆっくりめの話し方をするライアであるが、こうもゆっくり言われては聞き間違える事も出来ない。 「……それ、男性?」 他にもツッコミ所はあったであろう。 しかし何故かヒスイの口は、真っ先にそこを突いた。 「うん、まごうことなく男」 淡々と返すライア。 何だろう、いつの間にトワさんはバレンタインに男性にチョコをあげるような人種になってしまったんだ。 呆然と、手に持っているその、トワさんのYシャツを見つめる。 「そう……ですか、トワさんが……。いえ、まあ個人の好みの問題ですから余計な口出しは」 「いや違うって、勘違いだよそれは」 良かった、否定してくれた。 察してくれた事について微妙な心境になりながらも、一応の安心を得た。 「よ、良かった……それで、私が行く意味は?」 「トワじゃ男だって丸わかりだから。まず受け取ってくれないでしょ」 そりゃそうだ。 しかし、ということは……。 「……お察しの通り」 ……顔に出たらしい。 「大丈夫、兄さんならただちょっと緊張しちゃってオドオドした乙女にしか見えないから」 そして随分とまぁ、失礼な発言をしてくれた。  ……と、そこに張本人であるトワさんが登場。 珍しく買い物に行っていたらしく、小さくて小綺麗な紙袋を下げている。 触り心地の良さそうな、濃いワインレッドの地に、飾りすぎでよく読めない、踊る金の筆記体。 右肩には金の丸いシールが、Vの字に折られたリボンを紙袋に留めている。 中身の予想も楽についた。 「チョコ買ってきたぞ、酒入りのやつ!」 やたらにこやかにそう言うと、ライアに手渡そうと差し出す。 それをいつも通り冷めた横目で見ると、冷蔵庫にでも入れておきなよ、ともっともなことを言うライア。 トワさんはそれに大人しく従うと 「で、頼んでくれたか?」 である。 「まだ了承は得てない」 ジロ、とこちらを少し睨みつつ、双子の弟はそれに答えた。 半信半疑であったのだが、どうやら本当にタッグを組んでいるらしい。 「……あの、一体どういう経緯なんですか?」 今度はトワさんに。 問われた黒髪は、うん、と一度頷いてからそれに答える。 「いや、俺あの占い師と(特に実録漫画の方で)接触があるんだけどな、どうも謀られてばっかりで」 まあ仕返し? と、疑問系で括る。 贈り物なのに仕返し? と、更に訊くと 「あいつ酒が苦手らしいから、酒系」 と答える。 しかし、幾ら苦手とはいえチョコに入っているような微々たる量。 お猪口一杯にも満たないような少量で、仕返しなんて出来るのか。 それとも大量に……いや、あの袋だとそんな感じも無い。 綺麗な形を維持しているという事は、中身はコソッとひとつで、しかも大きくない。 いつも思うことだが、ああいう紙袋の使い方は勿体ない。 ……じゃあなくて。 「珍しいですね、トワさんが仕返しなんて」  ちら、と視線がライアに向く。 もう一人の仕返しされそうな人物……は、見える範囲にいなかった。 多分、身内に仕返しするとなるとその後が怖いのだろう。 ライアは、何? と言いたげな目でこちらを見返す。 そうだ、このサディストには「虐めている」という意識が無いんだった。 コイツが本気で、虐めるつもりで虐めようと考えたら、それはもうえらい事になるだろう。 「まあちょっと、食わしたらどうなるかっていう興味本位もあって」 少しバツが悪そうに笑う。 「そういう事らしいから。個人的に大して恨みはないけど、トワが渡すと失敗するでしょ」 「おい、確定かよ!」 確定だよ、とライアが冷たく返すと、会話がこっちに戻ってきた。 「だから、兄さんが渡して」 なるほど。 確かにトワさんが渡せば……占い師さんのことは良く知らないけれど、失敗はほぼ確実だろう。 そしてこういう事なら、珍しい事とはいえライアが一枚噛んでもそれなりに自然というものだ。 「な。頼むよ!」 罪悪感など一欠片もない、いい笑顔でトワさんが追い打ちをかける。 「でも……女装……」  顔も知らない相手に対する仕返しに一枚噛むのも嫌だが、最たる理由は女装である。 過去何度やらされたかなど数えたくもないが、幸い未だ慣れることはない。 嫌な物は嫌、なのである。 そう、口に出せないだけ……で。 そもそも……そうだ。 「コヨミさんにでも頼めばいいじゃないですか。喜んでやってくれると思いますよ」 それも考えたんだけど、と、今度はライアが口を開く。 「どうも『波長』が、ね」 はちょう? 「コヨミとアイツは会わせたくねぇ……」 嫌そうな、というよりは、僅かに畏怖の色を見せるトワさん。 「それは、やっぱりライバル意識とか……?」 恐らく、違うだろう。 「いや、そんなモンじゃない! アイツ等が対面したらえらいことになりそうだ!」 「似てるからね、『波長』が」  よく分からないが、どうもその占い師さんというのが コヨミさんと似たような雰囲気であるということは分かった。 そして、失礼ながらトワさんの発言に納得せざるを得なかった。 お前も巻き添え喰らうぞ! と付け足される。 いや、そもそもこの作戦に乗らなければそんなことにはならないのだけれど。 「ほら、服も用意したし!」  断る言葉を探してる内に、ドアの向こう……恐らく階段にでも置いてあったんだろう。 今までの物よりは比較的地味な「衣装」を持ち出し、差し出して来た。 何故か今回は和装である。 よく見てみれば、エンジ色のリボン、藍色の羽織、と言うのだろうか。 恐らく相手が和服だから、という理由でこのような格好になったのだろう。 ちなみに問題の着物は、普段着ている服の色に似ていた。 所々、緑などの優しい色合いが入っている。 色がリボンと合ってない、等と場違いな事を思うが…… なるほど、裾の方に似た色の花が描かれている。 良さそうな物だ、一体何処でいくらで仕入れたんだ。 「い、嫌なものは嫌です」  弱気に返す。 というか、準備まで整っていると弱気になってしまう。 「似合いそうじゃん」 と、これはライア。 女装の中でも珍しいタイプの服だからか、少し面白がっているようだ。 「だろ、俺が見立てたんだから似合う!」 トワさんは嬉しそうに言う。 男に似合う服見立てるのが得意で嬉しいか? と心の中で突っ込む。 「これならいつも着てるのと、着心地もあんま変わんねぇだろ?」 「いつも着てるのは襦袢なんか着ません」 そこじゃないだろ、と自分にツッコミを入れた。 「まあほら、ちょっと行って渡して、その場で食べてもらうだけでいいんだし」 ……だめだ、ライアがこんな時ばっかりノリノリだ。 住人全員に相談したところで、この話に反対してくれるような人は見あたらない。 いいや、もう。 ヒスイは諦めが良かったのである。 「……その場で、食べてもらうんですか?」 「じゃねぇと中身分かんねぇだろ?」 ごもっとも。  ……とまぁ、こういった経緯でこんな事になっている訳で。 最近通りかかるという道に来てみた訳である。 途中の道で食べて帰宅してしまおうかとも、他の誰かにあげてしまおうかとも考えたが、 ライアとトワさんがばっちり尾行していたので無理だった。 そしてターゲットの人物……ペーシェンスさん、という占い師が姿を見せた。  標準よりもやや長めの髪で、抹茶色の羽織に紺の着物。 上には黒いショールだかマフラーだかよく分からない布を掛けている。 綺麗な顔の、痩せた男性だった。 今も、2人はどこかで見ているのだろう。 「あ、あの……」  上ずった声で、彼の気をこちらに向ける。 なるほど、「ちょっとオドオドした乙女にしか見えない」。 「これ……良かったら受け取って下さい!」  性別、服装、発言が明らかに間違っている事。 それから相手と面識がない事が、自分を素に返させる。 恥ずかしい、それに凄い緊張だった。 赤面、しているんだろう……。 「……君は?」  占い師さんの第一声は、至極まっとうな質問だった。 まともな人、なのかも知れない。 「あ、すみません……ヒスイと申します」 うっかり本名を口走る。 「ヒスイさん。で、これは?」 今度は紙袋を指して。 「あ、あの……チョコ、です」 ずっと見てました! とか言うべきだろうか。 いやいや流石にそこまでは。 というか、ノっちゃ駄目だろう私。 訳の分からない会話を脳内で繰り広げる。 「…………」  しばしの沈黙。 怪しまれたか、いや、まあ怪しいだろう。 じっ と、こちらの目と紙袋を見つめている。 そして、不意ににっこりと笑いながら。 「……いいよ」  肯定の方の発音だった。 あ! と顔を上げる。 「あ、ありがとうございます! よ、良かったら今召し上がって頂けますか?」  いや、何でだよとまた突っ込む。 どうやら今日はツッコミが冴えているらしい。 「じゃあ頂くよ」 が、こんなに怪しいのにすんなりそう返してくれる。 それとも、自分で思っている程変な行為でもないのかも知れない。 何だ、何て事ない良い人じゃないか。 コヨミさんと同じ波長だなんてどこ吹く風……ごめんなさい、コヨミさん。 「……まあ、受け取らない訳にもいかないよね」 「そうだよな、ヒスイの必死な顔は無視できねぇだろ」  物陰の2人は、そんな呑気な会話を繰り広げていた。  ガサガサと包みを開き、相変わらず微笑みを絶やさずに、丁寧に開いていく。 この開け方の几帳面さは、ヒスイと通じる所があった。 包装紙に破り目ひとつ付けず、テープの粘着でプリントを剥ぐこともなく、実に器用に。 そして蓋を開き、最後のクッキングペーパーのような紙を剥がす。 ホイルにくるまったソレの形状を見て、微笑みが消えるが…… ヒスイの顔を見直し、そのホイルを剥く。 と。 「…………」  ほんの一瞬だが、無言で物凄く嫌そうな顔をした。 が、直後、それは苦笑に変わる。 「あ……の」 口に、いや、まだ口には入れてないから、お鼻に合わなかったでしょうか? いやそれもおかしいだろう、とまた突っ込む。 「……ごめんね」 占い師さんはそう言うと、ホイルを、これまた綺麗に、元通りチョコに巻き付ける。 そして収めるだけ収めると、一応貰ってはくれるのだろうか。 包装紙はそのままで紙袋に戻す。 「これは、ちょっと僕には食べられないや」  それから今一度ヒスイを見つめ直すと 「君も災難だねぇ」 と。 まるで全部承知しているかのように。 「え」 「どこから突っ込もうか」 苦笑を引きずりながら、今度は喜色を浮かべる。 この笑い方は……確かに。 コヨミさんと、よく似ていた。 「まず、君は男の子」 うまく化けてるけどね、と付け足す。 「あ……は、い」 呆然と返事をする。 別に化けた訳じゃ……化けてるのか、これは。 「それと、主犯はトワ君だね?」 「!」 ばれてます、ばれてますよトワさん! 「あともう一人いるなぁ……名前はまだちょっと分からないな、弟さん、だよね」 何かもう完膚無きまでに。 あの、帰って良いですか? 「ご、ごめんなさい……」 「君が謝らなくてもいいんだよ。まあ協力したのは君だけどね」 よしよし、と頭を撫でてくれるが……ここまでばれてるとストーカーなんじゃないかと思う。 いやぁ、それにしても可愛いなぁと言いながら、占い師さんは手を離した。 「僕は占い師だから」 「それにしたって……」 「うん、人の過去が見えるんだよ。だから嘘はすぐ分かる」 「……ああ、それで……」 「うん。さて、僕は戦闘向きじゃないし、これはやられたらやられっぱなしでいるしか無い訳だ」  ふう、と不満げにため息を漏らしながら。 「まったく、こんな可愛い男の子差し向けて酒だなんて、趣味悪いよね」 いよいよ笑顔がコヨミさんそっくりになる。 これは、もしかしてかなりマズイ相手を敵に回したのでは。 こちらが何も言えずに硬直していると、彼はその笑顔をこちらに向けた。 思わずぞくりと、背に鳥肌が立つ。 「住所と連絡先を教えてくれるかな? ほら、受け取ったってことは恋愛成就、付き合うよ?」 え、何に? 仕返しに? その笑顔からはもちろん、善意は読み取れない。 そしてこの人の気迫は、うっかりするとコヨミさんをも上回る。 つい……教えてしまった。 「ありがとう、じゃあ、ホワイトデーをお楽しみにね」 くすくすと笑いながらそう言う。 トワさん……ライア、ごめんなさい。 「もちろん、君もね」 ……。 そして、どうしてくれるんですか。 ――もしかしたら、来月に続く?  バレンタインTOPを描こう、と思ったら浮かんだお話。 SS、と言うのでしょうか。 何だかもう、ノリって怖いねとしか言えない物に。 野郎しか出てないよ! 一応視点はヒスイです。地の文も。やや客観視。 お返しについては何も考えていません。 来月までに浮かんでくれれば描きますね。 めぐり