Color The World ― Blue 黒い。 ただただ黒い。 ほんの僅かに藍を含んだその黒は、落ちたら飲まれてしまうような圧倒的な存在感を持っている。 まるで命を全て吸い尽くし、殺してしまったかのように。 ぼんやりと、思うともなしにそんな事を思いながら、少年は夜の海をのぞき込んでいた。 常夏の小島は昼間、常に燦々と鮮やかに陽が輝く。 陽が昇れば、慣れない者なら目が痛むほどの彩度を放ち、ひとたび陽が沈めば漆黒に染まる景色。 彼は日頃から、薄ぼんやりと疑問に思っていた。 この落差は何なのか。 特に、海はその象徴とも呼べた。 鮮やかな群青とエメラルドグリン、輝く水面に踊る白波。 それは正に命の源、そして命の象徴と思える程美しく、雄大だった。 しかし、今は……。 湿った潮風に栗色の跳ね毛と赤いタンクトップをなびかせ、少年は夜の海を眺めていた。 足下から海までの距離はそう遠くない。 せいぜい彼の身の丈程度だ。 それでも岩場に立ち、間違っても海に落ちないよう隣の岩肌を掴んでいる。 もしも落ちたら、そのまま呑み込まれてしまいそうで。 大量の海水は、深い穴のようだった。 少し足が竦み、一歩だけ後ずさる。 視線は海に捕らわれたままだったが、ふと顔を上げ、視線を右にやる。 右手には洞窟がある。 今掴んでいる岩肌は、その入り口にある岩のものだ。 その洞窟こそ、本来は穴と呼ぶに相応しい。 ただ、今は何故か海よりは暖かく見える。 洞窟に入ってしまえば海には落ちなくなるからだろうか。 ……帰ろう。 茶髪の少年、ガレットはそう思い、身を左に捻った。 一歩岩から動き、岩肌から手が離れる。 「あ」 突然だった。 右腕――海側の腕を、勢いよく何かに引っ張られる。 足下は安定していたのに。 驚く間もなく体は平衡を失い、ざん、と音を立て、背中から海に落ちた。 僅か月明かりを反射している岩肌と、濃紺で塗りつぶしたような透き通った空が印象的だった。 塵のような、白い物が水中を漂っている。 ガレットは水面を目指し、水を掻いた。 だが、一向に水面に着く気配はない。 泳ぎは得意な筈なのに。 次第に息が足りなくなってくる。 ……このまま呑み込まれるのかな。 そう思い、彼は意識的に抗うのをやめた。 力を抜けば浮くものだ、という薄い期待も込めて。 それでも体に浮き上がる気配はない。 むしろ、ゆっくりと沈んでいるようだ。 意識が遠のいていく。 何となく薄目を開けて、上と思われる方角を見た。 真っ暗だ。 あるのはただ、塵のように細かな白い物。 やっぱり、このまま死ぬんだな。 このまま海に還るのもいいかも知れない。 ポコ、と、口に溜めていた最後の空気の欠片を解放する。 それは踊りながら真っ直ぐに上を目指し、白い物をわずかに退けさせた。 それを見送ると、ガレットは目を閉じる。 意識はそこで、黒い闇に融けていった。 「大丈夫、死にはしないよ。ごめんね」 声がする。 何か謝られた。 声に反応して、ガレットは薄目を開く。 やはり辺りは真っ黒だった。 気のせいか。 頭の中が朦朧としている。 声は、直接頭に響いてきたようだ。 「君には誤解して欲しくなかった」 悲しげにそう続けると、声の表情は嬉々としたものに一転する。 「見て」 声を合図にしたように、ガレットは体を縦にする。 どこを見ろとは言われなかったが、何となく足もとの闇に目をやってみた。 すると、間もなくして 「……うわぁ……」 足下から海の色が広がった。 いつも見ている、鮮やかなエメラルドグリン。 僅か遠くは深い群青。 息をのむほどの碧の光が、闇の底から強く、柔らかに海を照らしている。 「これが、私たちの持つ命の本当の色。  今は光を失っているだけ」 見惚れていたガレットは、その声に我を取り戻した。 「この……光は?」 「命の光」 声は嬉しそうにそう言う。 と、光の正体が姿を現した。 それは、沢山の…… 「イカ?」 否、他にももっと細かいものがいる。 「命はみんな光を持つ。  ここは夜でも沢山の命がいるんだよ」 プランクトンも、魚も、全てが輝いていた。 「だから、忘れないで」 その声を境に、光は急速に弱まっていく。 景色が闇を取り戻す。 一層闇が濃くなったような気がした。 「恐れないで」 弱々しく切実な声を最後に、ガレットは再び意識を失った。 次にガレットが意識を取り戻したのは、いつも遊んでいる砂浜だった。 背後に村のかがり火が見えるし、その光でぼんやりと辺りが照らされているから間違いない。 波打ち際に打ち上げられている。 砂まみれだ。 胸まで海に浸かって砂を洗い落とすことにした。 ……夢だったのかな。 腹まで海に浸かり、海水を掛けながらふと思う。 考えてみれば、途中から水中で呼吸をしていたようだった。 一応、僕は魚ではないし。 確かに魚のように泳ぐとは言われるが。 そう思いながらも、ガレットはいつもより安心して体を流せた。 でも、ここには命がいるんだ。 命と水の存在を確かめるように、軽く水面を叩く。 すると、僅か……本当に僅かだが、それに応える様に足下の海が碧の光を発した。 一瞬それに怯んだガレットだったが、光の美しさも手伝ってか表情が緩む。 「おやすみ」 ガレットは海の光にそう呟くと、陸の、自分の家に向かって歩いて行った。 おしまい。です。 白と黒編を漫画で描いて1年強経ちました。早いですね。 あれを描いて少ししてから、青編を思い付きました。 もっと沢山の色のネタをやりたいなと思います。 今回は色の神じゃなくて海の神のつもりです。 でもそこかしこに色はあるので色の神も絡んでいるんだと思います(考えて書け ちなみに発光する海を見た事があって、それをネタに書きました。 いつか書きたいと思っていたので良かったと思います。 調べてみた結果、私の見た青の正体は夜光虫でした。